- フランスの薔薇史 -


「フレンチ・ローズ」の名をもって、フランス作出のバラたちが脚光を浴びようとしています。
イングリッシュ・ローズに対しての呼称でしょうが、しかし、英語で"French rose"と言えばロサ・ガリカを意味します…。ちょっと突っ込んでみたかったりして。^^;;;
なちゅび的には「フレンチ・ローズ」というからには、仏蘭西で生まれたバラ全てを含んでしまえ〜!
と、実に大雑把? いや野心的?に取り組んでまいりたいと思います。

では、皆さまにひとつ質問を。
「バラ」という言葉から連想する国はどこですか? 「フランス」という声が一番聞こえてきそうですね。

18世紀までヨーロッパで栽培されていたバラはわずかに4種、ガリカ、ダマスク、アルバ、ケンティフォリアだけでした。しかし、東洋のバラがヨーロッパに渡った18世紀以降、バラの品種改良は飛躍的に進みました。この頃のイギリスはといえば海運大国でしたから、その主な上陸地がイギリスとなるは必然。よってバラの品種改良の波はまずイギリスに巻き起こり、フランスへと伝播して、アメリカに広がっていきましたが、18世紀末〜19世紀に作出されたオールドローズを調べてみると、その多くがフランスで誕生していますよね。ああ、モダンローズ第1号はその名も「ラ・フランス」でしたね。^^;
        

では、何故フランスであったのか?
  1. 意外に感じるかもしれませんが、フランスという国は現在でも農業大国です
     そして、その全土がバラの栽培に適した土地なのです(英国人が歯噛みして悔しがりそう) 
  2. ナポレオン妃ジョセフィーヌなど、時の権力者の庇護と後援とがあったこと 
  3. フランス第2の都市リヨン

実は今回、国際バラとガーデニングショウの出展のため、メイアン、ギヨーを調べていたら(両社とも創業の地はリヨンです)、驚天動地!? なんと、リヨンってところは、作出家の宝庫だったのです。
そこで、なんだってまたリヨンなんだ? とか疑問が湧いてきて、作出家たちの関係やらを辿っていくうちに、遡ってマルメゾンまで手繰り寄せることになってしまったということです。(^_^;) 
作出家の系譜、これは面白いかも…思いまして、まとめてみました。

人の手が生み出したすべてのバラは物語を持っています。その物語を知ること、それもまたバラを育てる愉しみとはならないでしょうか?

リヨンがバラ栽培の核となり、モダンローズを生み出すに至った理由は、ナポレオン妃ジョセフィーヌともしっかり関連があるのです。19世紀初頭のリヨンはバラの栽培とは無縁の地でした。でも、リヨンが好きだったジョセフィーヌは1793年に設立されたクロワ・ルースの植物園に多くのバラを植えさせました。このバラたちはその後1857年にテット・ドール公園に移植されました。
さて、古来交通の要所であり、絹織物産業に栄えたリヨンは当時パリに次ぐフランス第2の都市。しかし、左川岸のかなりの部分がまだ市街化されておらず、栽培用地があり、かつ肥沃な土壌であったこと。そして、厳しい冬と暑い夏というリヨンの気候が様々な気候に順応するバラを育むに大変有利だったのです。リヨンのバラ栽培会社の多くはGuillotiereとMonplaisir地区に設立されました。(ちなみに前者はギヨー(父)の、後者はギヨー(子)の創業の地です)

それではなちゅびスタッフが半ば楽しみつつ、半ば悲鳴をあげながら蒐集していったリヨン、マルメゾンを核とした仏蘭西の薔薇、作出家の系譜をご照覧くださいませ。

2007.05 国際バラとガーデニングショー出展記念
皆さまの薔薇生活のお役に立てることを願いつつ、なちゅびスタッフ一同